父、小曽根 実の影響でジャズに興味を持ち、独学で音楽を始める。6歳の時、初めてテレビで演奏し、7歳の時に大阪毎日放送で隔週でのレギュラー出演をスタート。その後も独学でジャズを勉強するが、12歳の時にオスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始める決意をすると同時に、クラシック音楽についても神戸在住のジャン・メルオ神父に1年間師事する。またこの頃に、関西唯一のビッグバンド、アロージャズオーケストラを率いる北野タダオ氏に師事、オーケストラの編曲に興味を持つようになる。
1976年北野タダオ氏の厚意により、神戸で開かれたジャズ・フェスティバル、「ワイドワイドジャズ」で初めてジャズ・ピアノ・ソリストとしてデビューを飾る。
1980年6月渡米。1983年5月ボストンのバークリー音楽大学ジャズ作曲・編曲科部門を首席で卒業。同年6月、ニューヨークのカーネギーホールでソロ・ピアノ・リサイタルを開き、米CBSレーベルと日本人初の専属契約を結び全世界デビューを果たす。同時にグラミー賞受賞アーティスト、ゲイリー・バートン(ヴィブラフォン)のグループに参加、ワールド・ツアーを開始。この頃から作曲家としての活動も始め、ゲイリーをはじめとするさまざまなミュージシャンたちに曲を提供するようになる。
1990年に帰国。1994年、初のソロ・ピアノ・アルバム『ブレイクアウト』を発表。1996年、カリブ海で行われたジャズ・クルーズにて北川 潔(ベース)、クラレンス・ペン(ドラムス)と劇的な出会いを果たし、ただちにトリオ結成を決断する。トリオ第1作『ザ・トリオ』のディスクは、スイングジャーナル誌の<GOLD DISC>に選ばれ、続いて同誌主催のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>も受賞するなど絶賛を浴びた。1998年には同トリオの『ディア・オスカー』でジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>を2年連続受賞。1999年、更なる飛躍を期して再びニューヨークに移住。日本とアメリカを行き来しながら活動した。
2000年、舞台音楽(ひょうご舞台芸術「二十世紀」/新国立劇場「欲望という名の電車」)で、第35回紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。
2002年7月、デビュー20周年/ヴァーヴ移籍後10作目となる記念作『トレジャー』を発表。チック・コリア、ゲイリー・バートン、マイケル・ブレッカー、ジョン・ヘンドリックスという4人の世界的マスターたちをゲストに迎えた豪華共演が大きな話題となる。2003年2月、ゲイリー・バートンとのデュオ『ヴァーチュオーシ』(Concord)で、第45回グラミー賞に初ノミネート。惜しくも受賞は逃したが、全世界の注目を浴びた。
近年は、クラシックにも本格的に挑戦。2000年9月、東京のオーチャードホールで井上道義指揮新日本フィルハーモニー交響楽団とガーシュウィンのピアノ協奏曲ヘ長調を、2001年12月には同じ顔ぶれでバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」を演奏し、共に大好評を博した。
2002年2月、井上道義氏の誘いでフランスのマルセイユに同行し、地元のオーケストラとガーシュウィンのピアノ協奏曲ヘ長調を演奏。2003年10月4日、「第18回国民文化祭・やまがた2003」開会式で総合プロデューサー、井上ひさし氏の依頼により自作の協奏曲「もがみ」を弾き振りし話題を呼んだ。
2004年7月、ジャズとクラシックの共存をコンセプトにした、トリオとストリングス・クァルテットの共演作『新世界』を発表。発売を記念した全国ツアーは日本各地でソールド・アウトを記録。9月には研鑽を積むため、アメリカのクラシックの名門学校イーストマン音楽院に3ヵ月間入学。11月には、総勢15名のビッグバンド「No Name Horses」と伊藤君子とのアルバムをビデオアーツからリリース。
2005年2月、大阪ブルーノートでピア二スト塩谷 哲とのデュオ・ライヴを一週間開催。同年、「No Name Horses」のデビュー・アルバムをレコーディング。
2006年8月には、ワルシャワでパキート・デリヴェラ(クラリネット)と共演し、斬新なインプロヴィゼーションで好評を博す。2007年7月、フランスのピアノ・フェスティバル「ラ・ロックダンテロン」に招かれ、ラ・マルセイエーズ誌に『天才の到来』と評される。8月にはワルシャワで尾高忠明指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアとベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏。9月には東京JAZZに「No Name Horses」を率いて参加し、『着実にこの世界に新風を送っている』(日本経済新聞)と評された。また、スイングジャーナル誌で第32回南里文雄賞を受賞。
精力的な演奏活動のかたわら、人気FMジャズ番組「OZ MEETS JAZZ」(全国5局ネット)のパーソナリティーを務めるほか、テレビ出演や舞台音楽、ドラマ音楽を手がけるなど、ジャズの世界を超えた幅広い活動へと挑戦を続けている。
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