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「この国が生んだ最も良質の音楽家の一人」
---------------------- シカゴ・トリビューン紙
「はかり知れない力のイメージを即座に感じさせ・・・・・これほど感銘深い演奏を私は耳にした事がない」
--------- ニューヨーク・デイリー・ニュース
1980年よりオレゴン交響楽団の音楽監督を務めていたジェイムズ・デプリーストは、2001年、4年間に及んだモンテカルロ交響楽団の音楽監督の任期を終えた。1936年フィラデルフィアに生まれ、作曲法をフィラデルフィア音楽院でヴィンセント・パーシケッティのもとに学び、またペンシルヴァ二ア大学で科学と芸術の学位を獲得する。1962年、国務省主催のツアーで訪れていたバンコックで小児麻痺に倒れるが病はその後十分に癒え、1964年にはディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝することとなる。1965〜66年シーズンには、レナード・バーンスタインに選ばれてニューヨーク・フィルの副指揮者に就任した。
1969年、ロッテルダム・フィルとの共演でヨーロッパ・デビューを成功させ、同年のマーサ・バイアード・ロックフェラー賞を受賞。その後、ストックホルム、アムステルダム、ベルリン、ミュンヘン、シュトゥッツガルト、ベルギー、イタリアの各地で指揮活動を行う。1971年、アンタル・ドラティはデプリーストを、ワシントン・ナショナル交響楽団の副指揮者に任命。1976年にはカナダで最も歴史のあるケベック交響楽団の音楽監督に就任し、1983年まで務める。1980年、オレゴン交響楽団の音楽監督及び指揮者に就任。2年後には同オーケストラを全米のメジャー・オーケストラの地位にまで育て上げた。
客演としても、アメリカ及びヨーロッパ各国で活発に活動を続けている。フィラデルフィア管、シカゴ響、ニューヨーク・フィルなどアメリカの主要オーケストラに定期的に呼ばれており、なかでも1997年に初めて定期公演を指揮したボストン響の公演は絶賛を浴び、翌98年の定期公演、また99年夏のタングルウッド音楽祭における、同オーケストラによるフェスティバル最終日の公演を指揮した。また、第50回アスペン音楽祭のオープニング・コンサート、99年のフィラデルフィア管によるヴォルフ・トラップ・コンサートにも出演。1998年春には、モンテカルロ管弦楽団を率いて二度目の全米ツアーを行った。現在、オレゴン交響楽団の桂冠指揮者、フェニックス交響楽団の首席アーティスティック・アドヴァイザーを務め、2005年春には東京都交響楽団の常任指揮者に就任し、各方面から絶大な評価を得た。
現在、50枚以上のレコーディングを残しており、ヘルシンキ管とのショスタコーヴィッチ交響曲集を始め、オレゴン交響楽団との15枚に及ぶCDを録音している。
ジェイムズ・デプリーストは2005年11月にアメリカにおいて最も名誉のある芸術勲章、「アメリカ国民芸術勲章」を受賞。その他にも13の名誉学位を取得しており、また詩の分野でも活発に執筆活動を行い、現在のところ二冊の詩集が出版されている。歴史に名を残している名コントラルト歌手マリアン・アンダーソンは、デプリーストの叔母にあたる。現在、オレゴン交響楽団の桂冠指揮者、フェニックス交響楽団の首席アーティスティック・アドヴァイザー、2004年秋よりジュリアード音楽院の指揮科ならびにオーケストラ学科の監督に就任した。
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