SIR ANDRÁS SCHIFF &
CAPPELLA
ANDREA
BARCA

サー・アンドラーシュ・シフ指揮/ピアノ
カペラ・アンドレア・バルカ
来日公演 2019

Violin

YUUKO SHIOKAWA

20年を超える、
親密な仲間たちとの船旅

ヴァイオリニスト・塩川悠子が語る、
名匠アンドラーシュ・シフ・とカペラ・アンドレア・バルカ

TEXT BY TAKEHIRO YAMANO
PHOTOGRAPHS BY STEFAN GAWLICK

豊かな音楽を深めゆく名匠アンドラーシュ・シフがピアノと指揮をつとめ、ベートーヴェンのピアノ協奏曲ほか、得意とするレパートリーの数々を披露する希有な機会がやってくる。共演するオーケストラは、彼の繊細で自在な音楽に万全の共感を寄せる〈カペラ・アンドレア・バルカ〉。シフと共演する仲間たちとして1999年に結成された室内オーケストラだ。

そのアンサンブルを支えるのは、シフとの長きにわたる共演者にして良き伴侶でもある名ヴァイオリニスト、塩川悠子。──1960年代から欧米での活躍を始め、カラヤンやクーベリックといった名指揮者たちと共演してきた彼女は、ベルリン・フィル、バイエルン放送響、シュターツカペレ・ドレスデン、ロンドン響、ニューヨーク・フィル、ボストン響‥‥と名門オーケストラとの協奏曲で賞賛を浴びてきた。室内楽でも素晴らしい実りを重ね、なんといってもシフとのデュオ、そしてペレーニを加えたピアノ三重奏など、塩川悠子のヴァイオリンは良き理解者たちと共に円熟を深めてきた。

その彼女が語る、名匠アンドラーシュ・シフと〈カペラ・アンドレア・バルカ〉の仲間たちの音楽とは──。

シフと共演を重ねてきた、親密なる仲間たち

「〈カペラ・アンドレア・バルカ〉は、ザルツブルクの〈モーツァルト週間〉で、モーツァルトのピアノ協奏曲を全曲演奏してほしい、というお話があった時に結成されたアンサンブルなんです。コンサートマスターのエーリッヒ・ヒューバルト[へーバルト]をはじめ、それまでにアンドラーシュが室内楽で共演してきた昔なじみの仲間たちに集まってもらって、今年で20周年になりますね。今回来日するメンバーも多くは結成以来の人たちですが、アンドラーシュがヨーロッパ室内管弦楽団やエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団などいろいろなオーケストラと共演した時に出逢った新しい人たちも加わっています」

シフはもともと、塩川の師でもある故シャーンドル・ヴェーグが率いた〈カメラータ・ザルツブルク〉ともよく共演していたのだが、ヴェーグが逝去したあと、その大切な音楽仲間の遺志を継ぐように、〈カメラータ・ザルツブルク〉を母体として〈カペラ・アンドレア・バルカ〉を創設したという。そのネーミングはアンドラーシュ・シフの名前をイタリア風にもじった由(シフはドイツ語で「舟」、イタリア語なら「バルカ」だ)、シフと親密なる仲間たちの船旅は、20年を越えて円熟を深めている。

コンサートマスターのヒューバルトは、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのコンサートマスターをはじめ、モザイク四重奏団のメンバーとしても来日を重ねている。弦セクションには名門オーケストラの首席陣をはじめヴェテラン奏者が揃い、パノハ弦楽四重奏団の4人もいれば、管セクションにもホルンのマリー=ルイーズ・ノイネッカーなど経験豊かな名手たちが集まる。それぞれが凄腕のオーケストラなのだ。

「そう。ヒューバルトは世界一のコンサートマスターですし、人柄も本当に温かくて素晴らしい。彼のようにそれぞれ別のクァルテットなどでも活躍している人たちが、予定を合わせて〈カペラ・アンドレア・バルカ〉に集まってくれていますから、こちらでも木管五重奏曲やシューベルトの《ます》といった室内楽曲とピアノ協奏曲を組み合わせたコンサートもできます。日本でもそういうプログラムをまたの機会にぜひ実現したいですね」

つきあいも長く気心しれた名手たちが喜んで集まるオーケストラというのも幸せだ。

「みんな本当に愉しみに来るんですよ。いま〈カペラ・アンドレア・バルカ〉としては年に3回くらい集まって、結成以来のレパートリーであるモーツァルトのピアノ協奏曲や交響曲、それにピアノ四重奏曲やソナタを入れたコンサートをすることもあります。年に一度は演奏旅行に出て、先日はバッハのピアノ協奏曲全曲を一夜で演奏するコンサートで各地を回りました。年中ずっと一緒にいるよりも、このくらいのペースで集まって演奏するほうが、新鮮さを保てると思うんですが、アンドラーシュが忙しすぎて公演の間があいてしまうと、皆が『次が愉しみだね!』と待ち遠しそうに語るくらい、家族が集まるようなオーケストラになっています」

「室内楽の名手たちが揃うオーケストラ」の強み

こうした〈カペラ・アンドレア・バルカ〉ならではの親しい雰囲気はきっと、その音楽にもあらわれていることだろう。

「そう思います。『他で大変でもここがあるから』という、オアシスのようないい雰囲気ですね。皆が愉しみにして入念に準備して集まってきますから、出発点がとても良いんです。久しぶりに集まっても、前の演奏が甦ってきて、レヴェルもアップしてゆく。それは皆にとっても、アンドラーシュにとっても嬉しいことなんです。私自身も、ソリストとしての活動ばかりしていましたから、こうしたアンサンブルで協奏曲や交響曲など出来るのは最高のチャンスなんですよね。それに、常設オーケストラの団員になってしまうと、嫌いな曲も演奏しないといけないけど(笑)我々はそういう意味で贅沢ですね」

室内楽の名手たちが集まっているだけに、他のオーケストラとは違う音楽が生まれる。

「練習も室内楽のようですし、アンドラーシュは自分が求めているものを引き出すのがとても上手です。モーツァルトの交響曲第39番変ホ長調を演奏したとき、第1楽章の序奏から主部に移行するあたりで『ここは[弦楽四重奏曲第19番]《不協和音》のような音がほしい』と言っただけで、皆が分かるから本当に音がぱっと変わったし、タイミングも良くなった。今回の来日公演で演奏するベートーヴェンのピアノ協奏曲は今まで何度も演っていますが、我々の強さは、同じベートーヴェンの室内楽作品も熟知している人たちが集まっているというところです。ピアノ協奏曲でも、弦楽四重奏曲やソナタを思い出すところが多いですからね。我々は以前ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》で素晴らしい演奏ができていますし、そうした経験に加えてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏など、アンドラーシュの指揮もピアノもその深さが変わってきています」

今回の来日公演では、東京オペラシティといずみホール(大阪)でそれぞれ2夜にわたって開催される、ベートーヴェンのピアノ協奏曲(全5曲)の連続演奏を中心に、東京文化会館ではバッハやモーツァルトを併せたプログラムも。

「我々がベートーヴェンのピアノ協奏曲・全5曲を連続で演奏するのは初めてです。最もよく演奏するのは第1番と第5番。第4番も割合よく演奏しますが、最も機会が少ないのは第3番ですね。今回こうやって連続で演奏するのはいい体験です。アンドラーシュの演奏は、ベートーヴェンの人間性を身近に感じて、その優しさやリリカルなところも良く出ていますし、アンサンブルも室内楽的な良さがあって、ベートーヴェンの時代の演奏に近づいたものが生まれていると思います」

〈カペラ・アンドレア・バルカ〉と名匠シフの深化

名ピアニストとして世界最高峰の音楽を奏でるシフも、この〈カペラ・アンドレア・バルカ〉で指揮経験を重ねることで、音楽家としての深みを増したのではないだろうか。

「そう思います。指揮をすることで、ピアノ演奏の深さも変わっていますしね。──10年ほど前にモーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》を演奏した時は、レチタティーヴォの部分を振るのが大変で、私が家でつきっきりで『それじゃ出られない!』などと練習したものですが(笑)、その頃に比べたら彼の指揮も見違えるように上手くなりましたよ。それに、バッハの〈ロ短調ミサ〉、シューマンやブラームスの交響曲なども指揮してきて、心が合っている人たちと共に演奏することで、皆が幸せを感じています」

先ほど〈引き出すのが上手〉というお話もあったように、指揮者としての豊かな天分を発揮するシフだが、もともと彼は教師としても教えるのが上手なのだという。

「アンドラーシュは教えるのがとても好きで、若い人たちにも辛抱強く丁寧に教えています。私だったら『なんでこんな風に弾くの?』なんて言っちゃいそうなときでも(笑)相手を傷つけないようにとても親切にうまく教えるんです。アンサンブルでも、そういう感じが我々にも伝わってくるんですね。彼は自分で音楽に対して持っているイメージがはっきりしていますから、たとえばシューベルトで景色が浮かんでくるような音を出したいと思えば、我々はヨーロッパにいますから、みんなオーストリアの景色がすぐに浮かんでくる。アメリカでそういうことをするのは難しいかも知れません」

ピアニストとしての多忙な活躍に加えて、盟友〈カペラ・アンドレア・バルカ〉との活動。なかなか大変では‥‥という心配はご無用らしい。

「アンドラーシュも、弾いている時がいちばん生き生きとしています。音楽から元気を貰っているようで、多忙なスケジュールでも消耗しないんですよ。休養も必要なんでしょうけど、家でのんびりしている方がかえって具合が悪くなる(笑)。一方で、世界中で続けてきたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏は『もう疲れて出来ない。《ハンマークラヴィーア》とかどうかなぁ』などと言っていますが、彼は気分によって言うことが変わりますから(笑)」

音楽界の至宝シフと、大切な仲間たちとが響かせる、生き生きと親密な、熟練の音楽──。音楽の大海を晴れやかにゆく舟は、演奏家たちの喜びを美しい波のように響かせてくれるだろう。